Google Analytics トラッキング コード

2011年8月26日金曜日

Better than the Best

Twin Sun

ベストを目指すのもいいけれど、ちょっとずつ良くしていくことのほうが大事かな。

ケニアで感じたこと。

岐阜で学んだたこと。

パンダーズのこと。

すべては繋がってるけど、このタイミングですべて忘れてしまおうと思ってる。

今ここで、できることをいっこずつ。


ベストが何かは知っている。
でも、ベストよりベターなものを自分は知らない。

それを自分は見たい。

(New Blog)
Better than the Best.

このブログは個人的なメモなので不定期に更新します。
内容についてわかりにくい部分や誤解を招くような表現もあるかと思いますが勘弁してください。


2011年5月24日火曜日

EZOPANDAS PROJECT

北海道にやってきて10日あまり。

今年は過去に例が無いほど低温の春とのことで山の雪がなかなか解けません。

私が就職したのは造林がメインの会社なので雪があると仕事ができません。
ということで仕事もまだ始まってません。

引越でお金を使い果たした身としてはかなり厳しい状況ですが自然相手の仕事ですのでこればっかりはしかたがありません。

せっかくの時間なので瞑想中に思いついたアイデアをまとめてみました。

大まかなところはかれこれ2年以上あたためてきたのですが詳細な部分は今回初めて文字にすることができました。
なんとなく自分が目指しているものをイメージしていただければと思います。




パンダとはスワヒリ語で「植える」、「登る」という意味です。

私は北海道でパンダーズを結成しようと思ってます。

今後しばらくはその準備です。
なんだか大きなことを書いてしまったようですが、いったんすべてを忘れて今できることに集中しようと思っています。

自分の考えが強く正しければ自然とパンダーズに辿り着くはずですから。


ということで、このブログもひとまず区切りをつけようと思います。

今後ブログをやるかどうかは未定です。

パンダーズが動き出したら何らかのかたちで発信していきます。
でもあと数年はかかるかな。

北海道へお越しの際はご連絡を。


プレゼンテーションがうまく再生できない人はこちらをどうぞ

2011年5月12日木曜日

一所懸命



岐阜で、埼玉で、仙台で、そしていま北海道で今年4度目のサクラ。


自分の場所がどこかもわからないような人間がいるいっぽうで

津波ですべてが流されようとも、またいつか津波がくるとわかっていてもそこに住み続けようとする人がいる。


先祖代々から引き継がれてきた場所。

産まれたときからずっと住み続けてきた場所。

周りに住む人は自分のことを産まれたときから知っている。

その土地の自然のことは木の1本、草の1本、石のひとつまで知り尽くしている。


そんな場所に命を懸けて生きていきたい。

そう思えば思うほど自分は風のように駆け抜けるフーテン野郎になっていく。



ここが最後の場所になるかどうかはわからないけれど精一杯生きていきたい。

地べたに這いつくばって生きていこう。


ここは両親が生まれ育った土地。

先祖からの土地を捨ててつくりあげた土地。

北海道だからできること。

自分だからできること。


それに懸けてみたい。


この街には何度か来たけど一度も大雪山が見えたことはなかった。ここまで大きく見えるとは思っていなかった。

2011年5月10日火曜日

10-Day Meditation Course

10日間(11泊12日)の瞑想コースを修了しました。

つ・ら・かっ・た・・・

何度も途中で帰ろうと思いました。

こんなふうに途中で逃げ出したくなったのは本当に久しぶりのことのように思います。


毎朝4時起床で夜9時までずっと瞑想。

コースに参加したのは40人ほどですが最終日まで誰とも話をしてはいけません。

酒もタバコも禁止です。

食事は1日2回の菜食。

早起き、沈黙、禁酒禁煙、肉無し生活などは全然平気でした。

むしろ心地よかったです。

ただ純粋に瞑想がつらかったのです。


先日久しぶりに会った友人からこのコースのことを知り、
「集中力を鍛えたい!」あるいは「自分をとことん見つめたい!」
という単純な気持ちで自分はコースに参加しました。

ですが、この瞑想はずばり「解脱」を目指す由緒正しい瞑想法なのでした。

かつて仏陀が悟りを開いたときの瞑想法。

それは仏教以前の宗教を越えた純粋な瞑想。

一度は忘れ去られかけたこの瞑想法が25世紀経った今、世界中に広まっています。

参加している人には大学の先生や仏教の僧侶からOLや学生、欧米のビジネスマンやヒッピーと幅広かったのが特徴的でした。


自分なりにこの瞑想法を整理すると「自らの生命(いのち)を観察する」ということでしょうか。

自分の呼吸。自分の体のあらゆる部分の感覚。

そうしたものを集中することによって高めるのではなくただ観察する。

ひたすら観察する。あるがままを受け入れる。

なにがあっても平静な心で。


それにより痛みや嫌悪、欲や執着といった意識をただの自然現象として捉えられるようになるのです。


簡単なことではありません。。

あの仏陀ですら何年もかけて身につけたものです。
私なんぞが10日かけたくらいではとうてい及びません。

120時間以上瞑想したかと思いますがそれっぽいと思えたのは数分もあったでしょうか。

泣き出す人も途中で帰る人もたくさんいました。

わたしも何度か帰ろうとしました。

私は解脱を目指しているわけではないですし、まったく瞑想ができずただ苦しんでいただけのように思えたからです。


そんな私に対して指導者は「それでいい。それでいい。」と仰いました。

その言葉を信じたというより、わたしは10日後の自分を見てみたかったのです。

最後までやって変化が無いならそれは「無意味だった」と判断できる。

でも、途中でやめてしまったらその判断すらできなかいと思ったからです。


私はこの瞑想法が目指す境地というものを勝手にこう想像していました。


痛みも空腹も悲しみも歓びもただの感覚として生きているように見える野生動物の境地。


私はそれをシカやレイヨウ類などの草食動物の瞳のなかに見ます。

その境地に人間の知恵を加えることができたらおそらく凄いことになる。

仏陀の教えとはまったく違うのかもしれませんが、私はそれを見てみたい、感じて見たいと瞑想を続けたのです。


結果は言うまでもありません。そんなことは微塵も感じられませんでした。

(それっぽいと思える瞬間は何度かありましたが・・・)

ですが気持ちはとてもスッキリしています。

意味があったかどうかは今の段階ではさっぱりわかりません。

ただ、瞑想中にとんでもなく素晴らしいアイデアをひらめきました。

この2年半ず~っと温め続けていたアイデアを一気に前進させるこのアイデアに震えが止まらないほどでした。

仏陀には怒られるかもしれませんが最後の数日はほとんどこのアイデアについて考えていました。

ものすごい集中力で。。。


その内容についてはまた別の機会で。


2011年4月27日水曜日

Meditation

前の会社を辞めたのが2005年だったかと思います。

それからいろいろあって、ようやく次の仕事を見つけました。

その後に岐阜を出て、地震が起きて、予定が全部変わり、ボランティアして。。

なんだかとても慌しくて心が着いてきていない気がします。

それはとっても良くないこと。


今回どうしようかと悩んでいたけどやっぱり行きます。


こんな今の自分だからこそ必要だと思うので。


「物事をあるがままにみる」ためのトレーニング。


しばらく人里離れたところで瞑想してきます。

自由の代償 -仙台から帰って


仙台での2週間のボランティア活動を終えました。

最後の日には地元の方からあたたかい言葉をたくさん頂きました。

私と同じように参加した人が言っていました。

「この2週間は協力隊の2年間と同じくらいの濃さだった」

全く同意です。

自分にできることは何かを常に考えながら、地元の人の手助けをする。

これから先の何ヶ月、何年、何十年とこの震災と向き合っていく地元の人の前に
わずか2週間しかいない自分にできること。

そのなかで育まれる交流であったり、人間関係であったり。

本当に濃い時間でした。

最後に「また、おいでよ」とたくさんの笑顔で送られたときはケニアを去ったときとほとんど同じ感情が沸きました。

同じ日本ですし、協力隊OB会から派遣されたのは2週間ですが個人で継続することは可能です。

ホントにもっともっとここにいたいと思いました。
でも、それは違うんです。
自分がやるべきことはそれじゃない。


今回のボランティアを通じて学んだことはたくさんありますが、ひとつあげるとすると

「自分の身をどう守るか」ということです。


震災から1ヶ月が経ち沿岸地域以外はだいぶ落ち着きを取り戻してきています。

そうしたなかでもまだまだ避難所に残っている人やボランティアを要請する人というのはどういう人か。


家族がいない人。
近所に頼れる人がいない人。
自分のことを自分でできない人。


つまりは独居老人や障害者。あるいは遠方から越してきた世帯や単身者。


このような大震災の時に守ってくれる人は誰か?

それを考えさせられました。


やはり、まずは家族。
そして親戚。
次に地域。

大災害直後においてはお金も役にたたないけれどやはり復興にはお金が必要です。

行政のできることには限界があります。

血縁、地縁そして金もない人が行政からも見捨てられ悲痛な思いでボランティアに助けを求めてくる。

われわれボランティアにできることを考えるとともに自分の行く末を考えさせられるのでした。



私の人生は傍から見ると「自由」です。 
 

東北へボランティアに行く人へ

大きな余震が来る可能性はまだまだ高いです。

電気やガス。道路や鉄道がストップするかもしれません。

しばらく帰れなくなっても大丈夫ですか?

津波も来るかもしれません。

今回の津波で防災サイレンはほとんど壊滅しています。

正しい情報を迅速に入手できる手はずは準備できていますか?

不慣れな土地でどこに逃げればよいか把握できますか?

放射能が漏れるかもしれません。

被爆するかもしれない覚悟はありますか?


災害救援ボランティアもセルフレスキューファーストは鉄則です。

何が起きても誰かのせいにしない。

自分の身は自分で守る。

もちろん、どうしようもない時は誰かの助けを借りるほかありません。
それが結果として誰かの迷惑になるということを自覚しておく必要があります。

大型連休。

被災地に実家がある人や親戚がいる人が仕事の休みを利用して会いに行く人もたくさんいると思います。


ボランティアの人で新幹線やホテルが埋まり、道路も渋滞して会える人にも会えなくなるような気がして心配です。

通常の支援活動に支障が出ないか気がかりです。


とはいえ、ボランティアも必要です。
やれることはたくさんあります。

でも、連休だけボランティアを必要としているわけではありません。

ボランティアセンターとしては連休後にどっとボランティアの人数が減ることを危惧しています。


今回の震災から立ち直るには長い時間が必要です。


この大震災からの1ヶ月あまりのできごとを忘れないでいること。

とても大事なことだと思います。


もちろんボランティアに行くなと言ってるわけではありません。

私もそのひとりですからね。


ただ、自覚とタイミングは考えるべきかと思います。

2011年4月18日月曜日

Night patrolling in 仙台

青年海外協力隊のOB会が用意してくれたウィークリーマンションで集団生活をしています。


雑魚寝でプライバシーはゼロ。私のようなボランティアに加えて毎日日替わりで関係者が視察という名目でやってきては同じ質問をされる。

それもまったく的外れな質問だったり、彼らの視察が現地業務に迷惑かけていたりで腹が立ってしまう。


昔も今も協力隊大好き的な人とは話が合わない。やることやらずに誰かの文句ばかり。
どこかで誰かに甘えていたり、自分を特別な存在だと勘違いしてやれることをやろうとしない人。


私は被災地に個人でもっとも効果的に貢献することは地元にお金を落とすことだと考えています。
義援金もまわらないだろう地元の個人経営の店が元気を取り戻すことが大事だと思うのです。


というわけで毎晩ひとりで夜の街のパトロール。宿舎の界隈の安い居酒屋はひととおり巡回できたかと思います。

お金はかなり減りましたが地元の人と酒を酌み交わし今回の震災のことやボランティアに関する情報交換ができたこと。
そして旨いビールと東北の味。

自分には欠かせない重要な日課です。

満開の桜に満月。
今宵はどこへパトロールしようか…

2011年4月17日日曜日

仙台その4

何度もボランティアに参加している人はセンターからリーダーを任され、他のボランティアを統制します。

私はよく顔をあわせていたリーダーについて行くことになりました。
要請の内容はまさに沿岸地域の津波被害宅の片付けでした。

ウェイダーを着て、一輪車と角スコップを持ってバスに乗り込みます。

しばらく車を走らせるといきなり別世界が広がっていました。

要請者は私の両親と同じ歳くらいの夫婦でした。農家の家で、広い納屋の瓦礫と泥を片付けて欲しいという依頼でした。

津波の高さは2メートル弱。庭には車二台と物置小屋が押し流されていました。

慣れたリーダーは依頼者との細かい指示を確認しボランティアに的確な指示を出します。

これだけの瓦礫と泥をかたづけることが可能なのか?と初めての私などは思ってしまったのですが男8人が黙々と泥だらけになって作業を続けると思いのほか片付けは進みます。

依頼者も始めのうちはボランティアに対して半信半疑だったようでしたが次第に我々に心を許すようになってきました。

依頼者から聞く津波の時の状況は想像を絶するものがあります。

九死に一生を得て翌日に自宅の状況を見た時に

「あのまま津波で死んでしまった方がよかった」
と思ったそうです。

そんな時に地元の若いボランティアは力強く励まします。

夫婦の息子たちは遠方に住んでおり

「いざというときに頼れる息子が近くにいないということがどれだけ不安なことか…」

と嘆きます。

このさき両親から遠く離れた地に住むことになる自分としては身につまされる思いです。

それを聞いたボランティアたちは

「あたらしい息子が8人もいるべさ」

と声をかけると夫婦は笑顔を見せて

「生きていくしかねえべさな」

とおっしゃりました。

県外から来たボランティアが地元のボランティアに

「この経験はすごいことにつながるんじゃない?」
と聞くと

「う〜ん。どうかな。そんなこと考えたことないし、考えても仕方ないよね。ただ、いてもたってもいられないだけ。宮城大好きだしね。」

とおっしゃりました。


庭には津波を受けて泥だらけの梅の木がきれいに花をつけていました。

2011年4月16日土曜日

仙台その3

災害ボランティアセンターでは被災者からの要請をとりまとめ、センターに訪れているボランティアを要請ごとに振り分けて必要な機材や移動手段を提供しています。

私はもっぱら電話対応をしているのですがそこでは被災者からの依頼やボランティア希望者、各種の問い合わせなどに対応しています。

いろいろな立場の人と話をするので今回の震災の状況をまざまざと知ることになります。

センター内での活動になるので私は沿岸の津波被害の状況を見たことがありませんでした。

興味本位で行くことには抵抗がありましたし、自分に任されている仕事の重要さにやりがいも感じているので沿岸に行くことはないと思っていました。


今日はこちらに来て初めてお休みをいただいていたので一般のボランティアとしてセンターに行ってボランティア活動に参加してきました。

普段電話で被災者の方と話しているとはいえ、やはりこの目で見ておきたかったし、ボランティアさんともっと交流したかったからです。


受付をすませ、要請ごとに参加希望を募るのですがここ数日は要請の数よりボランティア希望者の数の方が多く長時間待たされるケースが続いています。

また、引越の手伝いや倒れた家具の移動といった作業が中心でいわゆるテレビで放送されているような津波の被害地で泥出しといった作業はあまりありません。

遠方から駆けつけたボランティアにとっては少し拍子抜けなところもあり「仙台はたいしたことない」と思うこともあるようです。

でも、独居老人や要介護者などにとってはタンスひとつ運ぶことがどれだけ大変なことか。
度重なる余震のなか倒れかけのタンスの横で眠ることを余儀なくされている人にとってボランティアにできることの意味を直接感じたいと思ったのです。


それとほぼ毎日参加しているボランティアの人も多く、そうした人達の多くがまた被災者なんです。彼らがこの震災をどう捉えているのか、ボランティア活動を通じて何を感じているのかを知りたかったのです。

つづく。

2011年4月15日金曜日

仙台その2

わざわざ12時間かけて運んできた多量の豆腐を受け付けないといって腹を立てる運転席の男に、七百時間自宅を失ったままの社会福祉協議会職員が立ちつくしてひたすら謝る。被災地のやさしさが痛々しい。

たまらず強い口調で対応する僕に男は捨て台詞を残して走り去った。誰のことが大切なのかわからない内はここへ来ない方がいい。わざわざ12時間かけて被災者を傷つけに来ることはないだろう。

近くのボランティアセンターにいるかたのツイッターの書き込みだそうです。

私も似たような光景を目にします。

一方で震災とは関係の無い片付けをボランティアに無理強いする被災地の人もいます。


でも、それはごく一部の人であって多くの方はまだまだ本当に困っています。
ボランティアにできることは限られています。それでも「何かしたい」という思いでできることを精一杯やっている人も大勢います。

私はここでさまざまなことを感じています。

それが今後の自分にどんな影響をもたらすことになるのか今はまったく想像もつきません。考える余裕もないといったところです。


今はただ自分にできることをしたい。

仙台に来て一週間。なんだか1ヶ月くらいこちらにいるような気がします。
桜が咲いています。

2011年4月11日月曜日

仙台にいます

仙台市の宮城野区ボランティアセンターでボランティアスタッフとして微力ながらお手伝いをしています。

センターは市内にあり津波の被害はありませんが今日も大きな余震があったり被災された人の話を聞いているとたまらないです。

センターを運営するスタッフはこの1ヶ月休みなく働いています。それでも僕らのような人間にもやさしく気遣ってくれます。そんな彼らも被災しているんですよね。

たまらないです。

このセンターには連日多くの地元ボランティアが訪れて、家の片付けや瓦礫の除去を手伝っています。そんな彼らも被災しているんですよね。

たまらないです。

私はそんな彼らが少しでも気持ちよく仕事ができるように自分にできることを精一杯やっていきます。


なお、このセンターでは現在のところ市外の方のボランティアは受け付けておりません。

2011年4月8日金曜日

Good bye 岐阜

地震の影響で荷物を岐阜に置いたままになっていました。
本来ならばゆっくりあちこち寄り道しながら岐阜に荷物を取りに行く予定だったのですが
予定がすべて変更となり忙しい引越になってしまいました。

これでひとまず岐阜とはお別れです。

この2年間という時間が自分にとってどういう意味を持つのかは今後の自分次第だと考えています。




岐阜の好きな所 その1

やたらとジムニーが多い。
狭くて、遅くて、燃費も悪い。でも、山や川へと遊びに行くには最高の相棒。
関東ではほとんど見ないこの車が岐阜では見ない日は無いほどたくさん走っています。
みんな山と川が大好きなんですね。









岐阜の好きな所 その2

ふくべヶ岳および片知渓谷と片知集落。
ボルダリングと出会えた山。片知集落の人と出会えた山。
「いつでも遊びにおいで」と言ってくれたマサミチさんの言葉と春の匂いに包まれたふくべヶ岳に後ろ髪ひかれる思い。

新しいボルダリング入山受付がいけてない。。
と思ったら素晴らしいアイデアを計画中でした。
きっと数年後には片知は今以上に面白くなることでしょう。





岐阜の好きな所 その3

なんと言っても長良川です。
上流にダムが無いということがどれほどすごいことかを実感します。
その清らかな流れには地域の人の生活までが流れています。
長良川流域というアイデンティティに岐阜の魂があるのだと思うのです。
そういう川は稀有でしょう。

さらば岐阜。また会う日まで。。


2011年4月6日水曜日

If I could play the Piano..


春はなにかとお金が入用なので。。。

ピアノを運搬するアルバイトをしていました。
といっても素人にピアノを運ぶことは不可能なので私は助手。
ピアノに触ることすら許されない感じでした。

どの世界にも素晴らしい職人がいるのですね。
学ぶことの多い経験でした。

子供の頃からどういうわけか人一倍ピアノに強く引かれていた自分。
ピアノが弾けるというだけでその人に対して特別な感情を抱いてしまうくらいです。

今回、たくさんのピアノと演奏者(?)。
そして、それを運搬する人たちと出会えてよかったです。

このピアノたちは新しい生活の中で新しい音色を奏でていくのでしょう。
私も弾けるようになりたいものですが、憧れを憧れのままにしておくことも大切なのかもしれません。



いつものとおり慌しく春は過ぎていきそうです。
次は仙台です。




携帯で撮ったのでわかりにくいですが狭いすきまからクレーンでピアノを分解して吊るし上げます。まさに職人技!

2011年3月16日水曜日

【情報:協力隊経験者のみ】 災害救援ボランティア

みなさんも同じように思っていることでしょうが今回の災害に関して
「自分にできること」をいろいろと考えています。

やみくもに現地に行ってもそれは混乱を招くだけでしょう。

自分にできることは何か?


今後復興が進めばおそらく木材需要が増えてきます。
林業もにわかに仕事が増えることでしょう。
そうした時に自分がすべきこと、できることなどをいろいろと考えています。

だけど、まだ自分は林業の現場にはいないのです。
 5月まで自分は無職です。
お金は無いし、災害救援の技術も無いけど、時間はあります。

そんな自分にできることは何か・・・とここ数日悩んでいました。

そんな時にこんな情報を得ました。
協力隊経験者のみ登録できるのですが災害救援ボランティアです。
現在、先遣隊が現地に入っているそうです。

もちろん、それぞれの日々の生活をこなしていくことの方が大事です。
仕事のある人はそれに専念してください。
近くに守るべき人がいるのであればその人のそばにいてあげてください。


でも、もしあなたの周りの協力隊OBに時間があるという人がいればこの情報を展開してあげてください。

それと、下の文にもありますが協力隊OBの方はぜひ、赴任先の同僚などへ無事の一報をいれるようにしてください。
私もケニアの同僚から連絡をいくつかもらいましたが、みんな日本のこと、そしてあなたのことを心配しています。



以下、青年海外協力協会(JOCA)からのメールを転載します。


●JOCAからのお知らせ●

〓東北地方・太平洋沖地震に対するお見舞い及びJOCAの支援活動について〓


この度の我が国未曾有の東北関東大震災は、東北地方を中心に甚大なる被害をもたらしました。

改めて、被災された地域の皆様には、本当に心より、お見舞いを申し上げます。

震災直後から、帰国隊員の皆様から何か支援が出来ないかといった声を多数戴いており、

勿論当会も、阪神淡路大震災、新潟中越地震等での支援活動の教訓を活かしつつ、
何らかの支援活動が出来ないかと検討を進めております。

今回の地震・津波災害に対しては、当会事務局長を団長とする計4名の先遣隊を去る

13日に派遣をしました。この調査により、現地での真に必要なニーズを調査し、
我々、帰国隊員が出来る支援可能な活動を展開しようと考えています。

詳細については下記の当会ホームページにて掲載されております。


トップページ  

→JOCAの事業 
→災害時の支援活動
→「東北地方太平洋沖地震関連」
http://www.joca.or.jp/activites/disaster/tohokuearthquake/    

調査の状況や今後の動きについては、引き続きホームページ上にて掲載・更新して参ります。


併せて帰国隊員の皆様に当会からのお願いがございます。

活動されていた国の同僚や友人へ是非ご連絡いただきたく、上記のホームページにて
お知らせしておりますので、ご確認いただけますようお願い申し上げます。

帰国隊員が可能な限り協力し、一刻でも早く、被災地での何らかの支援活動

が展開出来るように、まず先遣隊を中心に調査を進めておりますが、その結果、
帰国隊員の皆様のお力添えを戴く必要になりましたら、その時はどうかご協力
をお願い申し上げます。

2011年3月13日日曜日

Pray for ...

岐阜をあわただしく離れた翌日に東京で地震に遭いました。
無事です。

家に帰るのに30時間ほどかかりましたが、今回の地震の強さを思えば
生きているだけで感謝です。


そして、東北の人のことを思えば自分のことなど問題になりません。

ニュースで流れる映像には言葉も出ません。


今後自分がどう生きるか。

自然とどう向き合うのか。



いろいろと考えることはありますが、とても整理がつきません。

今は祈ることしかできません。

何に祈れば良いのかすらわからないくらいですが、とにかく祈ります。

2011年2月17日木曜日

Finding the fall line



岐阜に戻ってきました。
本当に楽しかったです。

どれだけの人とどれだけの話と酒を分かち合ったことでしょう。
地に足つけた生活を目指しつつもこうした旅する時間がやはり自分には
必要なのだと改めて思える素晴らしい時間の連続でした。

お世話になった方々。
本当にありがとうございました。


さて、今回学んだこと。



恐怖心や不安定さに怯えて重力に逆らってしまう。

だから、急斜面や未圧雪の場所では滑れないのだ。




フォールラインはひとつしかない。

自分がニュートラルになりさえすれば重力が向かうべきところへ背中を押してくれる。

あとはそれに耐えられるだけの力があればきっとどこだって滑れる。


恐怖心からスピードを殺そうとしたり、ターンしやすい場所へ無理に曲がろうとするから転んでしまう。疲れてしまう。怪我をしてしまう。

フォールラインに身を委ねて滑る楽しさを知り、その奥深さに興奮した。



そしてスキーと自分が重なった。



運命に流されるのでもなく、抗うのでもなく、すべてを受け入れ、身を委ねて生きていく。

それは本当に勇気がいることだけど、自分が自分らしく生きていくには必要なことなんだ。


そう、ちょうど水が流れ落ちていくように生きていけばいい。


さまざまな出会いと別れのなかでいま自分がどこにいてこの先どこを目指すのか。

そのすべてがFall lineでつながっている。

自分がニュートラルポジションに立てていることを確信した今回の旅。


この先のスピードと重力に耐えられる力が今の自分にあるかどうかはわからない。

でも、転んだらまた立ち上がって滑ればいい。

どうしてもダメだったら、板を担いでまた違う尾根まで登ればいい。


大事なのは自分が自分らしくあること。

もう、怖くはない。

2011年2月1日火曜日

Go North Again






スタッドレスを履いて、

スキー板を担ぎ、

ありったけの防寒具と小坂酒造の絞りたて新酒。

シモヤケでジャストフィットのクライミングシューズと始めたばかりのギター。

ヘルメットに鉈と鋸。

辻まことに星野道夫。

そして、あの夏から描いてきた自分の生きる道と新たな可能性。

ジムニーはそのすべてをのせて再び北の大地を走ります。


昨年の夏からの数々の出会いの総決算。

走れ!ジムニー。

-30℃でも、そこにはさまざまな出会いが待っている。
寒い寒い土地で熱い熱いハートを持った人たちや真っ白な大地と語り合うのさ。


それでは、行ってきます。

2011年1月5日水曜日

Welcome 2011





新年明けましておめでとうございます。

年末年始は実家で全然手をつけていなかった卒業研究に取り組んでいました。
10日間ほど実家で机に向かったり、旧友と酒を飲んだり、老いの進んだ両親と一緒に過ごしたりしていました。


昨年を振り返ってみるといろいろあったけれど全体としては良い年だったのかなぁと思います。

今年はもっと良い年になればと思いますがそれは後になってわかるものですよね。

とにかく、やれることを精一杯こなしていきたいと思います。


本日岐阜に戻り、早速登り始め。
たった10日間体を動かしていなかったら全く登れなくなってしまいました。

積み重ねてきたものは僅かではありましたが怖いくらい失ってしまいましたね。

それはクライミングだけの話ではないのだと思い、いろいろと反省の多い新年の始まりです。

今年もよろしくお願いします。



2010年12月23日木曜日

伝えたいことを伝える方法





私の学校は「森と人を繋ぐ学校」を謳っています。

だから林業だけでなく、木造建築・木工・里山そして環境教育のコースが用意されているのです。

環境教育のコースでは伝えたいことを伝えるための技術を専門的に学びます。

われわれ林業のコースでも実は森林環境教育という授業がありまして、先日、小学校・中学校・大学の学生さん相手に出前授業を行いました。

伝えるための技術は特に学んでいないわれわれですが、伝えたいことはそれほど山ほどあります。

森のこと。木のこと。林業のこと。山村のこと。世界のこと。


それをストレートにぶつける。


ネタや小細工もなしです。

話す技術もヘタクソだし、子供たちにはやや難しいかもしれないという内容も入れ込みました。

きっと環境教育的には Not Good な授業だったと思います。
でも、私たちには The Best だったと思っています。
肝心な子供たちにとってはどちらがいいのかは正直わかりません。



環境教育の現場ではいつもなんとなくしっくりこない違和感を私は感じます。

だから、今までそういう機会から自分は無意識的に距離をとっていました。

だけど、「伝えたい」という思いは今も昔も強く持っていました。

そんな時に森林環境教育を担当している教員(林業のコース)の一言に私は強く共鳴したのです。


「現場の人間だから伝えられることがある。そこに伝える技術などは要らない。」


その教員曰く「伝えるプロの話は聞いていてわかった気になる。だけど、すぐに忘れてしまう。現場の人間の話は何を言っているのかわからない。だけど、ずっと心に残る。」