先日、飛騨の方へ行きました。
その道中、とても紅葉がきれいでした。
飛騨、高山あたりはもう、見ごろは過ぎていたけれど郡上と飛騨の境のせせらぎ街道あたりは
ちょうど見ごろでした。
飛騨と郡上では山が全く違います。
飛騨の山は広葉樹がまだまだ多く残っております。
なので落葉します。つまり紅葉します。
でも、郡上に入ると人工林の針葉樹が圧倒的に多くなります。
なので落葉しません。つまり紅葉しません。
たかだか40~50年前までは日本の山のほとんどが広葉樹であったことを考えてみる。
山という山のほとんどが秋になると燃えるような紅葉を見せてくれるのです。
それはそれは美しかったことでしょう。
かつて日本を訪れたケニア人は秋になり山が染まっていくのを見てこう叫んだそうです。
「や、山が死んでいく。。」
日本人は季節に敏感とは言うけれど、昔の日本とはまた違うものになってきてるのでしょう。
戦後、金のなる木としてかなりの面積を人工林に変えて、今では日本の森の半分が人工林だ。
確かに、一年中緑の葉をつけている針葉樹には秋の紅葉の美しさがない。
管理不足の人工林は荒れに荒れている。
実をつけない針葉樹の林ではエサがないため生態系も貧弱だ。
だけど、だ。
私は声を大にして言いたい。
人工林は良くない。人工林なんて要らない。
なんて言葉を軽々しく口にするな!と。
日本人は大量の木材を消費している。しかもそのほとんど(実に80%!)を輸入している。
その木材生産を海外に頼っている状況で人工林を不要と言えるのだろうか?
人工林が良くないのだとすると、その良くない林を海外に作らせて輸入することが良いことか?
日本の天然林は貴重だから海外の貴重な天然林を伐採して輸入することが正しいことか?
人間は環境資源を収奪しながら生命を維持しているという現実を受け入れずに
環境を語ることは無益である。いや、それどころか有害ですらある。
そのあたりをきちんと伝えていくことが俗に言う環境教育なのではないか。
俺の知る限り現在の環境教育にはその視点が抜け落ちている。
そのことに強い危惧感を抱いているのは自分だけだろうか。
美しい、それは美しい山々を見ながらそんなことを考えていました。
(続く)
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