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2009年5月17日日曜日

田舎に住むということ 日本編



美濃という田舎に住んでいるのだが、ケニアの田舎と違って
水は蛇口をひねれば出てくる。(しかも美味い!)
電気は常に安定している。
ガスはプロパンだけど定期的に取り替えてくれる。
トイレは汲み取りだけど定期的に回収してくれる。
電車は不便だけど車があれば買い物も移動も困らない。

しかも、バーベキューはし放題。
山や川へと遊ぶところは盛りだくさん。

こんな良いところはない。
みんなどうして都会に住みたがるんだろう?

なんて思ってるわけです。

しかし、田舎に住むということはそう簡単なことではない。
特によそ者にとって。。


ここはまだまだ地域のつながりが根強く残っている。
自治会というつながりはものすごく強い。

先日、自治会長が
「あんたらはそのうちココを出て行くんだから自治会に入ってもらわんでエエよ」と言ってきた。

自治会に入ると地域の行事に参加しなければならない。
その行事も半端じゃないらしいことは聞いていた。

俺たちとしては地域ともっと仲良くなりたいからできるだけ参加したいと
思っていたけれど授業もあるし参加できないこともあるだろう。
それにこの家を引き継ぐかもしれない後輩たちは自治会なんて
関心が無いかもしれない。

地域の人たちにとって自治会に参加したりしなかったりするイエというのは
どう関わっていいかわからない存在であるのだ。

そんなことを自治会で話し合われた結果俺たちは"自治会に入ら(れ)ない"ことになったのだ。

そこまでは「そっか~、しかたないなぁ」と思っていたけれど

"自治会には入らないのだからゴミは捨てたらダメよ" と言われた。

え?ゴミ回収は市役所の仕事でしょ?市民税だって払っているわけだし。

でも、そんな理屈が通る問題ではない。近所の人に相談すると
「我々はあなたたちに意地悪をしているのではないんだよ。
でも、自治会には自治会以外の人にゴミを捨てさせるというルールがないんだ。
ルールを変えるということは簡単なことじゃないんだ。理解してくれ。」と言われた。

俺としてはケニアのときもゴミは自分で処理してたし、日本でもどうにかなるでしょ。
むしろゴミについて本気で考えるいい機会だ。
くらいに考えていたけどそう思えない人ももちろんいる。

田舎に住むなかで自治会=地域の人とうまくやっていけないということは
致命的な問題であってこの問題は単なるゴミ問題ではないのである。


せっかく何かの縁で出会い、よい関係を築けていた4人だけどこの問題によって
崩壊の危機を迎えてしまった。

しばらくみなで話し合いながら、いろいろな人に相談しているうちにこの問題は
あっさり解決してしまった。

この家の元住民の大家さんと自治会長の直談判が俺たちの知らないところで
行われたようだ。そこで具体的に何が話されたのかはわからないけれど
「ゴミ捨ててもいいよ」と言われた。

結局、今までどおりゴミを捨てることができるようになったのだけれど俺たちは
キツネにつままれた感じ。

俺たちの知らないところで地域の人が俺たちのことをどうとらえて、どういう決断
をしたのかまったくわからない。

想像するに、いつまた出て行くかわからないような人間をどう受け入れるべきか
地元の人もわからないのだろう。

自治会としてはできるだけ影響を受けないような対策をとった。

「自治会としてはノータッチ。だからゴミも捨てないで。」

でも、幸いにしてこの家には今年で2年目になる同居人がいて、その人は住民と
すごく仲良くしていてくれたおかげで周りの人が動いてくれたのだろう。

最終的な結論としては「自治会としてはノータッチ。でもゴミは捨てていい。」

だけど根本的な問題は解決されていない。

田舎に住むということはその土地と生きることを意味している。
それはそこに根を張り、そこの人間として生き、死んでいくことを意味する。

それを面倒だと思うようならそこで生きていくことはできない。
決して大げさではなく今回の件で本当にそう思った。

俺はこの美濃に骨をうずめる覚悟はない。

だからこそ俺はよそ者であり、単純に「いいなぁ、田舎は~」などと気楽に言っていられるのだ。

次の住処こそは骨をうずめる覚悟を決めたいなと思う。
その先に見える「土と共に生きる」感覚を味わいたいから。
その気持ちを楽しめると信じてるから。

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