
2度目のケニアで、俺は真剣に自分の将来のことを考えた。
日本人として自分が日本のためにできることが何か?
日本の地方が途上国のような状況に陥っている状況を変えなければならない。
そして、そのためには自分が地方の人間にならなければならない。
というより、自分が地方に住みたかった。
豊かな自然の中で暮らしたかった。
それじゃぁ、自分は田舎で何をするのか?
それを真剣に考えていた。
出した答えは “ジャーナリスト” だった。
地域の問題を正しく伝えたい。
地域でがんばっている人間をきちんと伝えたい。
たいした才能のない自分にできることはそれだと思った。
文章を書くことに関しては多少の自信を持ってもいた。
そのためにはきちんと勉強したいと思って英語も今まで以上に学んだ。
ナイロビ大学で英語を専攻していたケニアのエリートを家庭教師につけた。
家庭教師の名前はジャスタス。
彼は英語の教え方もさることながら、論客士でもあった。
英語のDiscussionでは 「英語さえもっと話せたら。。」 と思うことが多かったけど
彼とのDiscussionでは英語じゃないところで論破されて悔しい思いをたびたびしていた。
そんな彼とのDiscussionで忘れられないことがある。
ケニアの環境問題を話し合っていたときのこと。
コージ。ケニアの森林率は2%しかない。数十年前には20%もあったという。
これ以上、森を伐採したら動物がいなくなり、観光客も来なくなるだろう。
それよりも、水がなくなって人間も生きていけなくなるだろう。
そんなことはみんなわかっているんだよ。
だけど、ガスもない人々が木を伐らずにどうやって生きていけばいいんだい?
日本は森林率が70%もあるというじゃないか。
なのに木を外国から輸入しているとわどういうわけなんだ?
それを自己中心的だとは思わないのかい?
その日のDiscussionで俺は何も言えなかった。
日本人として心底、情けなく思った。
日本人であることを恥ずかしく思った。
そんな彼から英語を学び、ナイロビに住む日本人新聞記者にはEssayの書き方を学び、
俺は絶対合格しないと思っていたジャーナリズムの大学院に合格した。
だけど、何かしっくりきていなかった。
それが日本人である自分にできることなんだろうか?
日本人として、一人の人間として胸を張って生きていける生き方なのだろうか?
それが自分のやりたいことなのだろうか?
悩んでいた。
そんな時に今の学校を知った。
「森と人をつなぐ学校」
子どものころから抱いていたイメージ。
ケニアで感じた自分がすべきこと。
ジャスタスに言われたこと。
自分がやりたいこと。
そのすべてが繋がった。答えはおのずと決まった。
俺は林業を目指そう。
日本人として誇りを持てる生き方をしよう。
一人の人間として誇りを持てる生き方をしよう。
自分のやるべきことをしよう。
自分のやりたいことをしよう。
そのすべてが林業で実現できると思ってる。
実際にこの学校で林業を学び、林業の難しさや、地域社会の問題の複雑さを知るにつれ
自分がやるべきことの大きさに怖気づくことも多い。
「本当に自分にそれができるのだろうか?」
そんな不安もあるけれど、自信もあるんだ。
だいぶ遠回りしたけれど、やっと自分が求めてきた生き方を見つけられたんだからね。
そんなに簡単にはいかないだろうし、俺のことだからまた回り道することもあるだろうと思う。
できるかじゃなくて、やらなくてはならないんだ。
どんなに遠回りしたとしても。
やるべきことは山ほどある。
とにかく、一歩一歩進んでいくしかない。
終わり
1 件のコメント:
コメント書きづらいよ。
みんな
「夢を語ろうか」って言われて、
最初に言葉を発する勇気が持てないもの。
今のクライアントに、
昔、木こりだった人がいる。
昔、ね。
うまくいかなかったそうだ。
その人が何で木こりをしたかったのかはわからない。
でも、その人とコージは
おそらく違うと思う。
木こりと林業は違うし、
持ってるものも違う。
考えてる実現性も違うだろうし、
志も違う。
とりあえずデザイナーが必要だったら言ってくれ。
そんで、このコメントを覚えていてくれ。
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