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2011年4月18日月曜日

Night patrolling in 仙台

青年海外協力隊のOB会が用意してくれたウィークリーマンションで集団生活をしています。


雑魚寝でプライバシーはゼロ。私のようなボランティアに加えて毎日日替わりで関係者が視察という名目でやってきては同じ質問をされる。

それもまったく的外れな質問だったり、彼らの視察が現地業務に迷惑かけていたりで腹が立ってしまう。


昔も今も協力隊大好き的な人とは話が合わない。やることやらずに誰かの文句ばかり。
どこかで誰かに甘えていたり、自分を特別な存在だと勘違いしてやれることをやろうとしない人。


私は被災地に個人でもっとも効果的に貢献することは地元にお金を落とすことだと考えています。
義援金もまわらないだろう地元の個人経営の店が元気を取り戻すことが大事だと思うのです。


というわけで毎晩ひとりで夜の街のパトロール。宿舎の界隈の安い居酒屋はひととおり巡回できたかと思います。

お金はかなり減りましたが地元の人と酒を酌み交わし今回の震災のことやボランティアに関する情報交換ができたこと。
そして旨いビールと東北の味。

自分には欠かせない重要な日課です。

満開の桜に満月。
今宵はどこへパトロールしようか…

2011年4月17日日曜日

仙台その4

何度もボランティアに参加している人はセンターからリーダーを任され、他のボランティアを統制します。

私はよく顔をあわせていたリーダーについて行くことになりました。
要請の内容はまさに沿岸地域の津波被害宅の片付けでした。

ウェイダーを着て、一輪車と角スコップを持ってバスに乗り込みます。

しばらく車を走らせるといきなり別世界が広がっていました。

要請者は私の両親と同じ歳くらいの夫婦でした。農家の家で、広い納屋の瓦礫と泥を片付けて欲しいという依頼でした。

津波の高さは2メートル弱。庭には車二台と物置小屋が押し流されていました。

慣れたリーダーは依頼者との細かい指示を確認しボランティアに的確な指示を出します。

これだけの瓦礫と泥をかたづけることが可能なのか?と初めての私などは思ってしまったのですが男8人が黙々と泥だらけになって作業を続けると思いのほか片付けは進みます。

依頼者も始めのうちはボランティアに対して半信半疑だったようでしたが次第に我々に心を許すようになってきました。

依頼者から聞く津波の時の状況は想像を絶するものがあります。

九死に一生を得て翌日に自宅の状況を見た時に

「あのまま津波で死んでしまった方がよかった」
と思ったそうです。

そんな時に地元の若いボランティアは力強く励まします。

夫婦の息子たちは遠方に住んでおり

「いざというときに頼れる息子が近くにいないということがどれだけ不安なことか…」

と嘆きます。

このさき両親から遠く離れた地に住むことになる自分としては身につまされる思いです。

それを聞いたボランティアたちは

「あたらしい息子が8人もいるべさ」

と声をかけると夫婦は笑顔を見せて

「生きていくしかねえべさな」

とおっしゃりました。

県外から来たボランティアが地元のボランティアに

「この経験はすごいことにつながるんじゃない?」
と聞くと

「う〜ん。どうかな。そんなこと考えたことないし、考えても仕方ないよね。ただ、いてもたってもいられないだけ。宮城大好きだしね。」

とおっしゃりました。


庭には津波を受けて泥だらけの梅の木がきれいに花をつけていました。

2011年4月16日土曜日

仙台その3

災害ボランティアセンターでは被災者からの要請をとりまとめ、センターに訪れているボランティアを要請ごとに振り分けて必要な機材や移動手段を提供しています。

私はもっぱら電話対応をしているのですがそこでは被災者からの依頼やボランティア希望者、各種の問い合わせなどに対応しています。

いろいろな立場の人と話をするので今回の震災の状況をまざまざと知ることになります。

センター内での活動になるので私は沿岸の津波被害の状況を見たことがありませんでした。

興味本位で行くことには抵抗がありましたし、自分に任されている仕事の重要さにやりがいも感じているので沿岸に行くことはないと思っていました。


今日はこちらに来て初めてお休みをいただいていたので一般のボランティアとしてセンターに行ってボランティア活動に参加してきました。

普段電話で被災者の方と話しているとはいえ、やはりこの目で見ておきたかったし、ボランティアさんともっと交流したかったからです。


受付をすませ、要請ごとに参加希望を募るのですがここ数日は要請の数よりボランティア希望者の数の方が多く長時間待たされるケースが続いています。

また、引越の手伝いや倒れた家具の移動といった作業が中心でいわゆるテレビで放送されているような津波の被害地で泥出しといった作業はあまりありません。

遠方から駆けつけたボランティアにとっては少し拍子抜けなところもあり「仙台はたいしたことない」と思うこともあるようです。

でも、独居老人や要介護者などにとってはタンスひとつ運ぶことがどれだけ大変なことか。
度重なる余震のなか倒れかけのタンスの横で眠ることを余儀なくされている人にとってボランティアにできることの意味を直接感じたいと思ったのです。


それとほぼ毎日参加しているボランティアの人も多く、そうした人達の多くがまた被災者なんです。彼らがこの震災をどう捉えているのか、ボランティア活動を通じて何を感じているのかを知りたかったのです。

つづく。

2011年4月15日金曜日

仙台その2

わざわざ12時間かけて運んできた多量の豆腐を受け付けないといって腹を立てる運転席の男に、七百時間自宅を失ったままの社会福祉協議会職員が立ちつくしてひたすら謝る。被災地のやさしさが痛々しい。

たまらず強い口調で対応する僕に男は捨て台詞を残して走り去った。誰のことが大切なのかわからない内はここへ来ない方がいい。わざわざ12時間かけて被災者を傷つけに来ることはないだろう。

近くのボランティアセンターにいるかたのツイッターの書き込みだそうです。

私も似たような光景を目にします。

一方で震災とは関係の無い片付けをボランティアに無理強いする被災地の人もいます。


でも、それはごく一部の人であって多くの方はまだまだ本当に困っています。
ボランティアにできることは限られています。それでも「何かしたい」という思いでできることを精一杯やっている人も大勢います。

私はここでさまざまなことを感じています。

それが今後の自分にどんな影響をもたらすことになるのか今はまったく想像もつきません。考える余裕もないといったところです。


今はただ自分にできることをしたい。

仙台に来て一週間。なんだか1ヶ月くらいこちらにいるような気がします。
桜が咲いています。

2011年4月11日月曜日

仙台にいます

仙台市の宮城野区ボランティアセンターでボランティアスタッフとして微力ながらお手伝いをしています。

センターは市内にあり津波の被害はありませんが今日も大きな余震があったり被災された人の話を聞いているとたまらないです。

センターを運営するスタッフはこの1ヶ月休みなく働いています。それでも僕らのような人間にもやさしく気遣ってくれます。そんな彼らも被災しているんですよね。

たまらないです。

このセンターには連日多くの地元ボランティアが訪れて、家の片付けや瓦礫の除去を手伝っています。そんな彼らも被災しているんですよね。

たまらないです。

私はそんな彼らが少しでも気持ちよく仕事ができるように自分にできることを精一杯やっていきます。


なお、このセンターでは現在のところ市外の方のボランティアは受け付けておりません。

2011年4月8日金曜日

Good bye 岐阜

地震の影響で荷物を岐阜に置いたままになっていました。
本来ならばゆっくりあちこち寄り道しながら岐阜に荷物を取りに行く予定だったのですが
予定がすべて変更となり忙しい引越になってしまいました。

これでひとまず岐阜とはお別れです。

この2年間という時間が自分にとってどういう意味を持つのかは今後の自分次第だと考えています。




岐阜の好きな所 その1

やたらとジムニーが多い。
狭くて、遅くて、燃費も悪い。でも、山や川へと遊びに行くには最高の相棒。
関東ではほとんど見ないこの車が岐阜では見ない日は無いほどたくさん走っています。
みんな山と川が大好きなんですね。









岐阜の好きな所 その2

ふくべヶ岳および片知渓谷と片知集落。
ボルダリングと出会えた山。片知集落の人と出会えた山。
「いつでも遊びにおいで」と言ってくれたマサミチさんの言葉と春の匂いに包まれたふくべヶ岳に後ろ髪ひかれる思い。

新しいボルダリング入山受付がいけてない。。
と思ったら素晴らしいアイデアを計画中でした。
きっと数年後には片知は今以上に面白くなることでしょう。





岐阜の好きな所 その3

なんと言っても長良川です。
上流にダムが無いということがどれほどすごいことかを実感します。
その清らかな流れには地域の人の生活までが流れています。
長良川流域というアイデンティティに岐阜の魂があるのだと思うのです。
そういう川は稀有でしょう。

さらば岐阜。また会う日まで。。


2011年4月6日水曜日

If I could play the Piano..


春はなにかとお金が入用なので。。。

ピアノを運搬するアルバイトをしていました。
といっても素人にピアノを運ぶことは不可能なので私は助手。
ピアノに触ることすら許されない感じでした。

どの世界にも素晴らしい職人がいるのですね。
学ぶことの多い経験でした。

子供の頃からどういうわけか人一倍ピアノに強く引かれていた自分。
ピアノが弾けるというだけでその人に対して特別な感情を抱いてしまうくらいです。

今回、たくさんのピアノと演奏者(?)。
そして、それを運搬する人たちと出会えてよかったです。

このピアノたちは新しい生活の中で新しい音色を奏でていくのでしょう。
私も弾けるようになりたいものですが、憧れを憧れのままにしておくことも大切なのかもしれません。



いつものとおり慌しく春は過ぎていきそうです。
次は仙台です。




携帯で撮ったのでわかりにくいですが狭いすきまからクレーンでピアノを分解して吊るし上げます。まさに職人技!